頭が良いの僕が思う定義

頭が良いって一体何?

世の中には頭が良いと呼ばれる人たちが沢山います。

我々が主観的に他人を評価するときにも頭の良し悪しはついて回ります。

しかしながら皆さん頭の良し悪しに対して絶対的な定義を尋ねられたときにすぐに答えることができますか?

物事を評価するときに我々は無意識の中で今までの経験で培った評価軸に当てはめて考えています。

この頭が良い悪い問題も例外ではありません。

小学生から高校生の人たちは学校のテストの結果で頭の良し悪しを判断する傾向が強いとは思いませんか?

それは自分が今まで生きてきた中で学校のテストで良い点数を出す以外の知的活動をしていないからです。

しかし大学生や社会人になると考え方がまるっきり変わります。

それは自分の人生を自分で考え選択していかなけらばいけないからです。

一つ一つの判断で自分の価値が試されます。

そこに小中高生で習う学問があまり役に立たないことを皆が思い知ります。

しかしながら社会人になっても頭の良し悪しを判断されるという事は無くなりません。

仕事においては判断力、行動力、統率力などを総合して評価される傾向が強いです。

一方、生き方としては幸福度と頭の良し悪しは比例しています。

つまり頭が良いの絶対的定義などはなく、それぞれの認識の問題であるかのように思えます。

 

このことから頭が良いの僕が思う定義は

確固たる自分の持つ物差しの他にもう一つの定規を持っている

と結論づけます。